江東区(こうとうく)は、東京都の特別区のひとつ。 旧深川区・城東区、及び埋立地から成る。区名の由来は、隅田川の東の意、及び深川を意味する「江」と城東の「東」を合成したものである。
概況
東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面し、東京都中央区、墨田区、江戸川区に接する。
江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ寺社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた。また、区周辺部、特に臨海副都心や南砂地区等は大規模マンションや医療・福祉施設の建設が相次いでいる。近年はマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。
区の西部(東京市深川区に相当する地域)は関東大震災および東京大空襲などを経て区画整理がされている。
地勢
かつて地下水の汲み上げにより地盤沈下したことで、区の大部分がゼロメートル地帯となっている。また、運河と橋が多く、区では“水彩都市”と呼んでいる。道路と水路が連なって作られており、住宅地の側を船が行き交うことも多い。 区内には東京都から副都心に指定されている臨海副都心と錦糸町・亀戸副都心があり、二つの副都心を包括している。このこともあり、区内には観光客や会社員も多くやって来る。 臨海副都心は港区にも跨っているが、実際には江東区が大部分を占めており、江東区臨海副都心部は近年急速に開発が進められた新興開発地域となっており、街の景観は非常に近代的。 錦糸町・亀戸副都心のほうは、昔からあった大繁華街で、古くから下町として栄えた。1990年代後半から、東京の新スポットとしても急速に開けており、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並へと変貌した。 臨海副都心部には埋立地が多く、夢の島や青海、有明などは観光地区としても賑わっている。 また、臨海部にある湾岸地域は港区、江戸川区と海岸線を連ねて繋がっており、台場や東京ディズニーリゾートへの交通の便が良い。
自然環境
区の臨海方面にある夢の島一帯は大規模な公園が作られ、市街開発にあたって並木や草木が大量に植えられ、東京23区内とは思えないほどの緑の多い地域となっている。また、大島から木場にかけて再開発で市街整備され大型公園や歩道の増強により、緑地環境が増やされた。一方で、錦糸町・亀戸副都心には大規模な公園が無いので、緑地地域が減少傾向にある。また臨海副都心方面はオフィス街が連なっており、緑地地域は少ない。しかし南砂や大島、深川等の下町や住宅街には緑地地域が整備されマンション内や商店街にいくつかの公園が点在し、イチョウや柳などの樹木も多く植えられている。
歴史
- 1878年11月2日 – 郡区町村編制法が施行。東京府内が15区6郡に区画分けされ,深川区と南葛飾郡が発足。
- 1889年5月1日 – 市制・町村制施行により、東京市が発足。深川区は以後東京市に属する。南葛飾郡の中に亀戸村・大島村・砂村などが(町村制に基づく村として)発足。
- 1900年7月19日 – 亀戸村・大島村が町制施行。
- 1921年7月1日 – 砂村が町制施行。
- 1932年10月1日 – 亀戸町・大島町・砂町が東京市に編入、3町の区域をもって城東区が発足。
- 1943年7月1日 – 東京都制施行により、東京府と東京市は廃止。東京都深川区,東京都城東区となる。
- 1947年3月15日 – 深川区と城東区が合併して江東区が誕生。
- 1947年5月3日 – 地方自治法が施行され,江東区は特別区となる。
地域
旧深川区、旧城東区、及びその他の埋立地から成っている。この地域区分は現在の地図からも確認できる。
- 旧深川区
- 白河地区
- 富岡地区
- 小松橋地区
- 東陽地区
- 旧城東区
- 亀戸
- 大島
- 砂町など
- 埋立地
- 塩浜(1・2号地)
- 古石場三丁目(3号地)
- 枝川(4・5号地)
- 豊洲(5・6・7号地)
- 東雲(6・11号地)
- 辰巳(7・12号地)
- 潮見(8号地)
- 有明(10号地)
- 青海(東京臨海副都心)(13号地)
- 夢の島(14号地)
- 新木場(14号地)
- 若洲(15号地)